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翻訳会社は福岡へ
大分に会社を設立した理由
−まずは大分で起業に成功−

現在は福岡を代表する翻訳会社となったソリュテックであるが、その創業の地は大分であった。 大分で創業した当時は福岡は全く眼中に無かったのだ。
大分で創業した背景
大分で創業というと不思議に思うかもしれないが、やみくもに大分に会社を設立した訳ではない。そこには様々な理由があった。大分で起業した動機の主なものは大分への愛着と大分発展への使命感、大分での人材に対する期待、大分における協力者の存在、大分におけるローコストオペレーションによる競争力の確保である。
上記の会社設立理由について、起業後に間違いに気がついたこともあるのだが、なにはともあれ、大分で起業することに成功した。
※ 大分で起業するのは比較的簡単だと思うが、トップページの「ある翻訳会社の福岡への軌跡」でも述べたとおり、大分で会社を継続して発展させるのは難しい(もっとも、資金力があれば別だが)。私は大分には愛着があるし、大分に発展してもらいたいと思っている人間だが、しかし、実際に大分で創業し、もがき苦しんだ経験は率直にオープンにすべきであると考えている。ビジネスの種類によっては大分で起業する価値が高く、成功することになるかもしれないし、私の経験を参考にすることで穴をうまく避けたり改善して大分で成功することになるかもしれない。それに、そもそも時代は変わるものだ。大分が会社経営者にとって天国と呼べる日が来るかもしれない。
1:大分に対する愛着
私の両親は大分県の国東半島の出身である。自分自身は東京生まれ東京育ちであるが、夏休みなどは大分県の両親の実家で過ごすことが多かった。特に母方のだから、大分には思い出がいっぱいだった。
大分県の中でも国東は風光明媚で神社仏閣が多い。私が子供の頃は、山、川、海と全てにおいて美しかった。特に海はきれいな砂浜が広がっていて、浜を歩くと表面で結晶を結んだ塩がサクッサクッと割れて心地よかった。
東京〜大分間の旅も強烈な思い出だ。 当時はまだ飛行機は一般的ではなく、ブルートレインの特急富士に乗るパターンが多かった。 特に、別府駅から東京に向けて帰る時は、親戚に見送られながら、素敵な思い出山盛りで帰るわけで、超ウルルンであった。
自分が子供の頃、ブルートレインに乗ることは、グレート・アドベンチャーだった。その移動行程や大分での経験全てが新鮮で強い印象を伴い脳の深い深い所に記憶された。
最近、福岡県東部の北九州市門司区に事務所を設けた関係で、小倉や門司で特急富士を見かけることが増えた。 そのたびに当時の懐かしい記憶が蘇る。
大分というのは両親の出身地であると同時に自分にとって非常に大切な場所なのだ。
2:人材に対する期待
郷愁意外にも大分を起業の地に選んだ理由がある。それが、人材に対する期待である。私が設立した会社は、技術設計、翻訳、通訳などの知的な仕事を得意とする。従って、設立まもない頃、会社が発展するためには、名も無い小さな会社でも優秀な人材を低コストで集める必要があった。
詳しくは優秀な大分人で述するが、大分の人材が優秀であると思わせるような材料が多くあり、大分で起業すれば、優秀な人材を低コストで集められるのではないかと考えた。それは後で必ずしも正しく無いことが判明するのだが、起業当時は、そう考えるのに十分な材料があった。
大分の文化程度は、昔、高かった。特に国東は六郷満山という仏教をコアとする高い文化水準を持っていた。著名な方で大分に何らかのかかわりを持っている方は多い。残念ながら、現在の大分は見る影も無い。荒城の月の歌詞を流用するならば「昔の光、今いずこ」と言った所であろうか。とにかく、大分の文化程度が、昔、高かったという点が、私が大分に会社を設立しようと考えた大きな原点にあることには間違いない。
3:協力者
会社は1人で運営できるものではない。協力してくれる人が必要だ。同年代の大分の親戚で私のやろうとしている事を理解してくれる人間がいた。これも大きな理由の1つだった。
とにかく、名も無い会社のスタートというのは、今思うともの凄く大変だったが、しかし、あのタイミングで会社を設立していなければ、もしかしたら会社を設立することも出来なかったかもしれないし、設立した後で倒産していたかもしれないと思う。私の執筆した若者よ起業せよでも述べたが、私は、少しでも野心があるのであれば、適切なタイミングで起業することが重要だと感じている。
翻訳会社ソリュテック 田吹 清己
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